『身体が壊れる(痛む)そのしくみ』を10人の社員がいる会社で説明しようと思います

痛む場所 ≠ 痛みの原因

私たちは、一般的に「痛み」のあるところが悪い(壊れた)ところと思ってしまう傾向があります。

これは、私たちが生まれてきてからの経験(体験)から、そのように考えてしまうのですが、実際には「痛む」場所と「痛み」を起こす原因は、必ずしも同じ場所にある訳ではない、ということをもっとみなさんに知ってもらいたいと思っています。

 

■身体を構成している10人の社員

今回は、身体が壊れる(痛む)しくみを、10人で運営している会社(組織)に例えて書いてみましょう。

10人の社員の標準仕事量は100

私たちのからだは、10人の社員で運営されていて、彼ら社員全体での仕事の許容量は100とします。

私たちが普通の生活をしている限り、この100の仕事量を超えることはそれほど多くは起こらないでしょう。
なので、彼らが十分な余裕をもっている限りは、私たちは健康であるとします。

 

組織はなかなか理想通りにはいかない

100ある仕事を10人に均等に分配していけば、一人当たりの仕事量は10になるのですが、しかしそのように理想通りにはいかないのが現実。

この組織も、私たちの現実社会と同じように、働き者1割、なまけ者1割、そして残り8割が平均的な人という構成です。

 

10人の社員、それぞれこなせる能力には差がある

Aさんは働き者です。
常に他の人の2割増しの仕事量をこなす、組織の要となる人です。

Bさん~Iさんの計8人は、自分の仕事はきっちりこなす事ができます。
しかしそれ以上こなす余裕はあまりありません。

最後にJさんです。
彼はなまけ者で、平均的な人の仕事量の8割以下しかやろうとしません。

ある日、一時的に仕事量が増加

ある日、一時的に許容量を超える仕事をこなさなければいけなくなりました。

全体で110の仕事量になったとしましょう。
社員一人分の仕事が増加し、当然負荷がかかります。

この増加した10の仕事をAさん以下10人に均等に割り振る事にしました。

Aさんは、2割増しの仕事に更に1人分が加わり13。
Bさん~Iさんの8人は、10から11。
Jさんは、8だったのが9。

にそれぞれ増えました。

この状態が1ヵ月近く続きました。

■Bさんが最初の犠牲者に

10人は自分以上の仕事をこなしていますから当然次第に疲労していきます。

私たちのからだの「痛み」もBさんの疲労がピークになったのがキッカケで起こりました。

もちろんAさんも辛いのですが、やはりBさんが最初の犠牲者となり、仕事を休むことになりました。

幸運な事に仕事量は以前の量に戻りました。
つまり仕事量は100です。

それと同時に、不思議と痛みも感じなくなったのです。

 

仕事を9人で分けなければ!

仕事量が100になったとはいえ、まだ9人で仕事を分けなければなりません。
そのままでは割り切れないので、仕事のできるAさんには14を引き受けてもらい、そのほか7人はそれぞれ11を分担し、Jさんには9やってもらうようにしました。

しかし、Aさんはすでに危険な状態です。

もしこの状態でさらに仕事量が増えれば、Aさん以下、Jさんを除く他の7人もいつ倒れるか分かりません。
しかし、Bさんはまだ復帰できません。

なぜかBさんが悪者!?

なぜか会社は仕事を休んでいるBさんの所為で、負荷が大きくなったと思っています
が、はたしてそうなのでしょうか?

 

もしBさんを解雇したら?

さらに、Bさんが働けなくなったからといって、解雇してしまったら一体どうなっていたでしょう?

仮にすぐに即戦力の新人(新Bさんとします)が見つかったとしても、ある程度の研修期間は必要ですね。

また、新Bさんが一人前になるまでは、誰かが面倒を見ることになります。
すると、その間は面倒を見る人の仕事は他の誰かが負担しなければならないわけですから、結局ある一定期間は負担増が続きます。

そんな時に、もし仕事量が増えてしまったらどうなるのでしょうか?

そして、新Bさんの面倒を見ることが十分にできず、新Bさんは不満になり会社を辞めてしまったら・・・。

 

原因はどこにあるのでしょう?

仕事量が増えた事ももちろん大きな要因のひとつです

Bさんが体調を崩したとしても、もしJさんがちゃんと一人分以上働く能力があれば、仕事量を全員に均等に分配できるのでAさんだけに仕事が集中する事はなかったはずです。

Aさんも、負荷が常態化すればいずれは倒れる可能性が高いでしょう。

Aさんは組織の要ですので、そうなればあっという間に全体が崩壊してしまったかも知れません。

Bさんが改善する機会を与えてくれた

ある意味、Bさんが倒れたということで、組織全体のもっている能力や仕事量の見直しなど、改善をする良いキッカケが見つかったと考えるほうが前向きですね。

 

みなさんに考えてもらいたいこと

読者のみなさん、私の言いたいこと推測ができましたか?

そう、一番必要だったことは、ちゃんと働いてくれないJさんを一人前に働いてくれるように教育し、Aさんの負荷を減らすことです。

まあ、いつもが許容量の8割程度の仕事量ならば、Bさんや他の誰かが倒れる可能性も低いでしょうし、もし誰かが倒れてしまったとしても、全員に余裕があるので十分に吸収できたはずです。

しかし、誰もがぎりぎりの状態でいれば、頑張って働いているAさんが先に倒れてしまったかもしれません。
そんな事が起こらなくても、このまま放っておいたとしても、この組織はまるでドミノ倒しの様に負の連鎖で、組織が崩壊する危機を迎えることでしょう。

 

■Bさんの解雇を外科手術に例える

Bさんの解雇を、外科手術に相当すると考えると、分かりやすいと思います。

普通以上に働いていたBさん(何も悪い事をしていないのに)を切って(まさしく手術で取り除くわけです)、新しい人(人工関節が良い例)新Bさんに入れ替えるわけですが、これでは根本的な解決にはなっていません

Bさんを切るという選択ではなく、もしどうしても切るのであればそれは働きの悪いJさんだったのでは?

新Bさんは、仕事をソツなくこなす事はできるかも知れませんが、長年同じ組織で全体を調整しながらうまくやってきたベテランの元Bさんと比較するにはムリがあるでしょう。

実際、人工関節になれば以前の自分からだのように動かすことはできなくなります。
もちろん動かなくなった頃より格段に良くなったとしても、制限も増え、出来ることと出来ないことがかならず出てくるでしょう。

そして、新Bさんを使い続ければ、他の社員にも影響がでてくる可能性は否定できません。

今の状態でも、また負荷が増えれば、今度は他の誰かが壊れてしまう事になるでしょう。

働き者のAさんが壊れないことを祈るばかりです。

■「壊れた部品を交換すれば良い」のが当たり前?

自分の生活や仕事、身体の使い方や姿勢について今一度見直し、機械のように人間のからだも「壊れたら交換すれば良い」という考え方が当たり前になる社会になって欲しくないから、「自分のからだ・健康は自分で守る」という意識を常に持って頂きたいと思っています。

追記:
すべての手術を否定するわけではありません。必要な手術があれば私も受けるでしょう。
問題なのは、壊れたら交換すれば良いというのが当たり前になれば、からだを大切に使おうとする気持ちがなくなり、使い捨てのモノと同じようになりかねないと危惧しているのです。

 

※初掲『いやさか通信』2018年4月&5月号より(一部追加・訂正)

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