食に関する健康問題はなぜこんなにも私たちを悩ませるのか
前回取り上げたのは、牛乳は健康によいのか、悪いのか、というものでした。
実際、食の問題は、私たちを悩ませます。
なので、つい手軽に手に入る情報だけをたよりに行動してしまいがち。
テレビで健康に良い食品と紹介されれば、翌日にはスーパーの棚から消えてしまう事もあるくらいです。
しかし、その食品が今まで健康に良いと言われていたものが、翌日には逆に健康に悪いと言われるなど、まったく矛盾した情報が行ったり来たりしています。
私たちの健康情報への関心は高まる一方であり、これらの健康情報に私たちはいつも踊らされることになります。
それでは、一体なぜこのように食の健康、つまり栄養についてのあらゆる情報が行き交うことになるのでしょうか?
栄養についてこのような矛盾がなぜ起こるのかについて考察した記事を今回紹介したいと思います。
栄養はなぜ勉強するのが難しいのだろう
ここからです。
乳製品は健康に良いのか悪いのか?コレステロールは悪?赤身の肉死亡率を上げる、それとも下げる?ケトン食は天の恵みか、それとも健康にとって危険なのか?ビーガン(完全菜食主義者)、ベジタリアン(菜食主義者)、ペスカトリアン(魚菜食主義者)、またはローフードダイエット(生食ダイエット)は病気無しでいられるのか?
栄養に関しては矛盾な事が多く、食品が健康に良いか悪いかを判断するのに、なぜこんなにも難しいのだろうか。
医学では、理論を証明することは非常に難しい。栄養の科学も例外ではないが、独自の課題もいくつかある。これらの問題のネックについての概要を説明したいと思う。
栄養学者が直面する多くの問題として、どの食品が健康に利益をもたたらすか、または害するかを理解することは不可欠だ。
また、一般大衆は、食事を通して健康を増進する方法を見つけることに躍起になっている。肥満と糖尿病は、現在大流行しており、両方とも栄養上の危険因子がある。これにより一般的な関心がさらに高まることとなった。
科学研究のすべての分野は、程度の差はあれ、次のような問題に直面しているが、人々にとって栄養に関する関心が非常に高いために、それによって問題はより大きく見えている。
変化する世界
歴史的に見て困難な事はあったが、栄養研究の分野ではかなりの進歩が見られた。例えば、科学者たちは、ビタミンCが壊血病を予防し、脚気がチアミン欠乏により発症し、ビタミンD欠乏がくる病を引き起こすことを発見した。
これらのすべての場合において、特定の化合物と特定の条件の間に関連がある。ただし、それらがはっきりと明確なことはめったにない。これは、肥満、骨粗鬆症、糖尿病、心臓病など、複数の要因が関与している状態を調査する場合に特に当てはまる。
また、栄養関連の状態は歴史とともに変化する。健康に対する最も一般的な脅威は、以前は不足だったが、今日の西洋諸国では、過食が主な懸案事項だ。
健康と病気における食物の役割を理解することは不可欠であり、注目に値する。この記事では、栄養研究が非常に不明確で、難しく、完全に紛らわしいと思われるいくつかの理由について説明しよう。
「完璧な」栄養研究
理想的な世界では、与えられた食物の健康への影響を理解するために-(たとえばこんな感じで)『枸杞の実』の効用を測定するための実験をしたとしよう。
科学者は10,000人の参加者(男性と女性の両方、さまざまな国籍と民族)を募集し、10年間研究所に収容する。参加者は、滞在期間中、まったく同じ食事を一人一人に与えられるが、違いが1つだけある。参加者の半数には分からないように、例えばミックスフルーツスムージーに枸杞の実を混ぜてみる。
研究期間中はアルコールとタバコは禁止されている。
また、参加者は毎日同じ時間運動しなければならない。一部の人々がより多く運動すると、『枸杞の実』の摂取量に関係なく健康になるため、これではデータを歪めてしまうことになる。
研究者も参加者も、誰が『枸杞の実』入りスムージーを受け取っているか分からない。参加者が「スーパーフード」を受け取っていることを知れば、それがプラセボ効果の恩恵を受ける可能性があるためだ。このいわゆる二重盲検は、臨床試験を実施する際に必ず必要となる。
10年間にわたる研究中、科学者は参加者の健康を集中的に監視する。これには、定期的な血液検査とMRIなどの医療画像の検査が含まれるだろう。
もちろん、このタイプの研究にかかる天文学的なコストは、まさに最初の障害といえるだろう。加えて、倫理と良識において、これは不可能を超えている。(つまり実行不可能だということ)
完璧の代わりとして
完全な研究は達成不可能であるため、栄養学的研究にはいくつかの譲歩が必要なのだ。そのため、「観察研究」では、栄養学者は人々が消費するものと、現在または将来の健康状態との関係性を探すことになる。
もちろん観察研究は非常に有用だ。この方法を使用し、科学者はタバコが肺がん引き起こし、運動が私たちにとって良いことを証明できた。
ただし、これらの研究は完全にはほど遠い。
観察研究での問題の1つは、研究者が(被験者の)自己申告による食物摂取に依存していることだ。
参加者に、一定の時間に食べたものすべてを書き留めるか、過去に何を食べたかを記憶するように依頼するが、これは、昨日の場合も、または数か月前を指す場合があるだろう。
残念ながら、人間の記憶は完璧とはいえない。また、一部の人々は、その日に食べたキャンディーなど、特定の食品を見逃すことがあるし、参加者は自分の食べた正確なサイズや量、たとえばレストランや持ち帰り用の食べ物の材料の完全なリストを常に知っているわけではないからだ。
研究では、栄養成分が健康に及ぼす長期的な影響について質問することがよくある。
この時、研究者は食事情報を1つまたは2つの時点で取得する傾向があるが、現実には、人々の食事は10年の間に大幅に変わる可能性もあるのだ。
栄養摂取の測定に関連する問題は非常に深く根付いているため、自己報告による研究を疑似科学と呼んでいる学者もいる。
産業の役割
これらの問題は、全国健康栄養調査(National Health and Nutrition Examination Survey(NHANES))からデータを引き出し、プロス・ワン(PLOS One)誌に掲載された。
1960年代に始まった全国健康栄養調査は、「米国の成人と子供の健康と栄養状態を評価するために設計された研究プログラム」であり、米国の公衆衛生政策を導くために、専門家は調査結果を利用した。
全国健康栄養調査のデータ収集の主な方法は、24時間の食事想起問診で行い、研究者はこの情報を使用してエネルギー摂取量を計算した。
批判的な論文の著者は、「カロリー摂取量の人口傾向を推定し、米国の栄養監視からの食事と健康に関係する、経験的に支持された公共政策を策定する能力は非常に限定的」と結論付けている。
意見書の中で、執筆者エドワード・アーチャー(Edward Archer)は、約40年および数百万ドル程度の栄養監視データが致命的な欠陥を持っていることを彼らの論文が証明した」と説明した(栄養疫学ではこれらの結果は一般的だ)
このPLOS Oneの論文は、「コカ・コーラ・カンパニーからの無制限の研究助成金によって提供された」と宣言している。
産業資金は確かに研究の発見を無効にするものではないが、そのような研究から資金提供者が何を得るのか疑問に思うだろう。この場合、砂糖の入った飲み物を製造する会社は、自社製品が不健康であると判断した研究に対する人々の信頼をゆるがすことで、逆に恩恵を受ける可能性もある。
おそらく、こういった例は非常に少ないとは思うが、より一般的には、既得権益を持つ業界は、製品の利点を実証する研究に資金を提供する。
例として、カリフォルニアのクルミ委員会は、クルミが私たちにとって良いと結論付けた研究に定期的に資金を提供している。その一方、米国ハイブッシュブルーベリー評議会によってサポートされている1つの研究は、その要約でこのように誇らしげに述べている。
「おいしい完熟ブルーベリーを定期的に消費することを無条件にお勧めできます。」
繰り返しになるが、研究が業界の資金を活用しても、調査結果が手に負えないという意味ではないが、考えるべき要素は提供する必要があるだろう。
別の研究では、清涼飲料、ジュース、牛乳に関する研究への業界の資金提供の影響を調査した。
著者は、「栄養関連の科学論文の業界資金は、スポンサーの製品を支持する結論にバイアスをかける可能性があり、公衆衛生に潜在的に重大な影響を与える可能性がある」と結論付けている。
メディアはこれらの発見を増幅する傾向があり、混乱を助長させている。たとえば、チョコレート製造会社が資金を提供した研究によって、チョコレートが寿命を延ばすと結論付けた場合、メディアは多くの場合、資金提供者の言及や研究の限界についての議論なしに、結論のみを報道するだろう。
複雑さに飛び込む
栄養研究を悩ませている別の問題は複雑さだろう。ある研究では、特定の1つの食品または化合物が健康上の結果に与える影響に焦点を当てることがある。これは、管理が少し簡単にはなる。
多くの場合、研究は特定の食事の影響を調査しようとする。たとえば、地中海の食事は、近年注目を集めている。
ここでの難点は、ある人の地中海ダイエットのバージョンが他の人のバージョンとは大きく異なる可能性があることだ。
たとえば、ある人は毎日赤ワイン1杯、オリーブ25個、アーティチョーク(キク科チョウセンアザミ属の多年草。和名はチョウセンアザミ)1個を摂る、他の人(同じ研究グループに属している可能性がある人)はワインを飲まず、オリーブもアーティチョークも摂らない。
関連する問題は置換の問題だ。たとえば、ある人は肉を食べない場合、彼らは肉を豆や豆類などの他のタンパク質源で置き換える可能性がある。したがって、肉を含む食事と含まない食事を比較すると、健康への影響は肉の不足によるものではなく、他の食品の追加によるものである可能性がでてくる。
あらゆる種類の果物と野菜には膨大な数の化合物が含まれているが、これらの種類と量は、収穫場所、輸送方法と保管方法、それらを処理および調理する方法によっても大きく異なる。
考慮すべき変数があまりにも多いため、研究で統計的に有意な結果が見つかった場合でも、調査対象の食品に由来するものかどうかを判断することは困難なのだ。
もちろん、人間は消費する食物と同じくらい多様であり、ある人はピーナッツを食べると、その人に有益な栄養素を得るかもしれないが、ピーナッツにアレルギーを持つ人にとっては致命的になるかもしれない。
2015年のある研究では、同じことを指摘しているが、より微妙な方法で行っていた。
科学者は、800人の参加者の血糖値を継続的に測定し、「同一の食事に対する反応のばらつきが大きい」ことを発見した。
著者は、これが「普遍的な食事の推奨事項には有用性が限られている可能性がある」ことを示唆していると説明している。
交絡変数のたたり
(訳注:交絡変数とは、原因と結果の両方に関連している変数)
この問題を説明するには、架空の(しかし完全に空想的ではない)研究の結果を説明すると役立つだろう。
たとえば、以下のような研究結果がでたとしよう。
『ホウレン草をたくさん食べる人は、食べない人よりも5年間長く生きることができる。』
この結果から、ホウレン草は寿命を延ばす、とすぐに結論を出したくなるかもしれない。
しかし、急いでホウレン草を増やす前に、代替案を検討する価値があるだろう。
この場合、寿命の伸ばす食品はホウレン草だけではないかもしれない。ホウレン草をたくさん食べる人は、他の野菜もたくさん食べているかもしれないし、逆に、ホウレン草を食べない人は全体的に野菜を食べる量が少ないかもしれないからだ。
また、野菜を定期的に食べる人は、運動などの他の健康的な趣味が多い可能性が高く、ホウレン草を食べない人は、そもそも運動する傾向が少ないのかもしれない。
もちろん、これらはすべて仮定の話だ。
しかし、他の要因がホウレン草の消費に関連していることは明らかであり、これらは結果に影響を与える可能性がある。
ほとんどの研究で、研究者はこれらの変数を「制御」しようとする。ただし、測定されていない要因が 調査結果を大幅に変更しているというリスクは常にある。
交絡変数はもちろん医学のすべての分野に影響を及ぼすが、食事とライフスタイルは非常に密接に絡み合っているため、栄養学研究では特に危険なのだ。
持ち帰りメッセージ
栄養は混乱の地雷原のようだ。何が健康で何が健康でないかを判断することは困難だ。高脂肪、高塩、高糖のような製品であれば簡単だが、果物や野菜は私たちにとって良いと確信することができるかもしれないが、ほとんどはグレーゾーンにある。
栄養科学の混乱を徹底的に軽減する1つの研究には、料理本からランダムに選択された50の成分に関連する研究の文献が含まれる。これらには、コショウ、子牛肉、レモン、ニンジン、ロブスター、ラム酒、レーズン、マスタードが含まれていた。
論文によると、これらの50成分のうち、40成分がガンのリスクの増加または減少に関連していた。
結論として、研究者は「証拠は弱いものの、どの研究でも信じられないほど大きな影響を強調している」と書いている。
それでは、私たちには一体何ができるのだろうか?
科学者は研究方法を改善し続け、すでにわかっていることを追加する必要がある。消費者、一般市民、およびメディアのすべてがより重要である必要がある。
総論として、栄養の世界に簡単な答えはない。
しかし、私たち人類は食べる必要があるため、科学は前進し続ける。なぜなら食品の関心が消えることはほとんどないのだから。
ここまでです。
食の健康問題は、結局のところ私たちの多様性にあると思います。
ある人にとって良い事が、別の人にとっては悪く現れることは良くあることです。
多数派と少数派とざっくり分けられることはできるが、細かくみれば、結局私たちは一人ひとり違っているから、ということに他ならないと思うわけです。
基本は抑えつつ、自分なりのアレンジを加えていけば、その人オリジナルの健康法が生まれてくるのではないでしょうか。
『○○するだけ健康法』のような一つだけに絞った方法は、シンプルで分かりやすいですし、継続しやすいというような長所は有るかも知れませんが、個人的には疑問を感じるものが多い気がします。
『総論として、栄養の世界に簡単な答えはない。』